階段を昇り、ある一室の前に立ち止まると、
葉のお姉さんはドアを勢い良く開けて、その中に私を引き入れた。
入った瞬間、思った。
ここは別世界だと。
まるでそこはお姫様が住む場所だった。
部屋が薄いピンクの物で統一しているからか、
ほんわかとした、温かい感じのする世界。
キレイに並べられた縫いぐるみ、
可愛い小物、
どれも私は欲しがっても与えてもらえることなく、憧れで終わったものばかりだった。
・・・私が欲しかったもの、望んでいた暮らし、
全てを持ってる葉のお姉さんが、
羨ましくもあり、憎くもあった。
でも、私がこんな風に思っていても、
葉のお姉さんは屈託の無い笑みで私に微笑んでくれて、
「由良ちゃんはどれが似合うかなぁ。」なんて、
自分のことのように考えてくれて、
優しくしてくれて、
そんな人を、嫌いになるなんて、出来そうもなかった。
嫌いになる必要もないんだけど。
「お姉さん?」
「やだぁー。お姉さんなんて呼ばれたことないから照れちゃう。
さくらちゃんでいいよぅ。葉だってそう呼んでるんだし。」
「さくらちゃん?」
「うん、うん♪」
「私、本当にどんな服でもいいんです。
今だってこんな可愛い服・・・貸してもらって・・もう充分・・・。」
そう言ったら、真剣な顔で、「ダメ」と言われた。
「葉に可愛い姿見せたいって思わないの?
・・・まぁ・・・私の服だから、限界はあるんだけどさ、
やっぱり好きな人の前では“可愛いカッコ”で居たいでしょ?
Tシャツにジャージとかだったら、恥ずかしくない?」
・・・別に葉の前だから可愛い姿で居たい、とかそう言うのは全くないけど、
葉のお母さんとお姉さんの前では、おかしなカッコで居たくないっていうのはある。
うーん、と考えてると、
「由良ちゃん、雑誌とか見ない?ここに載ってる服可愛いんだよ。
コレ、最新号。貸してあげるから見てみるといいよ。」
「あ・・・ハイ。」
・・・なんだか良く分からないけど、本を借りることになった。
「ねぇ、一つ聞いてイイ?葉のどんなところが好きになったの?」
急にキラキラした目で近くに寄って、そんな風に聞かれて、困った。
「好きになったところ・・・。」
葉のどこが好きか?
そんなの考えた事も無かった。
だってお互いが好きだからってことで始めた付き合いじゃなかったし。
今は確実に状況は変わって、私は葉のことが好きになっているけど、
何処が好きだとか、具体的に考えた事なんて無い。
「・・・特に無いの?」
悲しそうな、そんな表情をお姉さんに見せられて、焦る。
「ちっ、違うんです。あんまり言葉で表現したことなくて。
・・・え、えっと・・・正直なところ・・・かな。」
「葉が?!嘘だ。葉は平気で嘘を吐くよ。」
・・・分かるけど、そんな即答しなくても。
でも、そういうことをいってるんじゃなくて・・・。
「・・・でも・・・思ってること素直に言ってくれるの、嬉しいです。
裏表が無いっていうか・・・。」
「そうかなぁ?」
「え。」
キョウダイであるお姉さんにそんなに否定されたら、
もうどうしようもないんですけど。
困ったから、脳をフル回転させて、必死に葉のいいところを思い出す。
・・・なんだろう。
あ!
「・・・あ、あと、意外と面倒見がいいトコとか?」
思い出したッ!って思って、満面の笑みでそう言ったら、
それを聞いて、葉のお姉さんは笑い出した。
「あはは!由良ちゃんて面白いー。」
・・・何処が!?今、全然面白いこと言ってないですけど!!
「・・・何、人の居ないところで話してるわけ?」
突然、後ろから声が聞こえてきて、ビクっとなった。
振り向くと、葉が腕を組みながら立っていた。
肩にタオルをかけてる。
・・・お風呂から上がったみたい。
「・・・腹減ってんだからさ、早く昼飯にしようよ。」
「だって由良ちゃんの服!」
「今のままでもいいよ。どうせ由良の服が乾くまででしょ?」
お姉さんがチラっとこっちを見て、「今のままだったら嫌だよね?」と言ってきたけど、
私は首を振って、ニッコリ笑った。別に服にこだわるつもりはない。
葉のお姉さんは本当に残念そうな顔をして、
「ご飯食べに行こうか」とポツリと呟き、部屋を出た。
その姿が可哀想で、やっぱり・・・と言おうとしたけど、
葉に後ろから口を塞がれた。
余計なことを言って、時間を取らすな、ってこと?
じっ、と葉の顔を見ると、葉はしれっとした顔。
何コレ。よくわかんない。
葉のお姉さんが階段を降りてから、
葉はやっと私の口を塞いでいた手を放した。
「必死だったじゃん。俺の好きなトコ言うの。」
・・・聞いてたんだ。
聞き耳立ててたの?それとも偶然?
「・・・そういう葉はどうなの?
どこか好きだって思ってくれていることってある?」
自分で言っておいて、そんなものあるわけないよな、って思うから、
ちょっと苦笑い。
でも葉から返って来た言葉は意外なもので・・・。
「あるよ。でも絶対教えない。」
ベェ、って舌を出して葉は階段をトントン、とリズム良く降りていく。
私も慌てて後を追う。
「・・・どうして?」
「どうしても。」
反復するのはズルイ。
そんなこと言って、どうせホントは答えなんて用意してないんだと思う。
これは葉なりの優しさだ。
・・・そんな、その場しのぎの言葉なんて要らないのに。
「無理しなくていいのに。」
「無理?」
ポツリと呟いた私の発言に、葉は階段を降りていた足を止め、後ろを振り返った。
私も同じように足を止める。
上から葉を見下ろすなんて、初めてだ。
背が低い私はいつも見下ろされてばっかりだから。
「私にいいところなんてないって自分が一番良く分かってるから。」
「何言ってんの?そんなこと・・・。」
「あるんだよ。」
葉の言葉を遮って、そう言う。
「私ね、お母さんに、欠点ばかりの人間だって言われ続けてたの。
最後には、“あんたなんて要らない。もうウンザリなの。”
・・・そう言われちゃった。
実の母親が“産まなければ良かった”って言うほど、
ダメな人間、ってもう充分自覚してるんだ。」
言い終わって、ハッとする。
こんな場所で言うことじゃなかったかもしれない。
それ以前に、葉に言うべきことじゃなかった。
「・・・嘘だよ。嘘。ごめん、忘れて。」
笑顔を作って、フォローするようにそう言う。
私今、上手に笑えてるかな?
すると葉は、真剣な顔で「無理して笑わなくていい」と言った。
葉は再び階段を上ってきて、目線が私と同じ位置になったところで立ち止まった。
そして。
手がのびてきて、
気がついたら、ぎゅっと抱きしめられた。
私はどうしていいか分からなくて、固まる。
でも不思議と嫌な感じはしなかった。
思えば、誰かから、こうやって抱きしめてもらったの、
物心ついてからは初めてかもしれない。
最後に抱きしめてもらったのはいつだっけ。
記憶が無いほど、昔だと思う。
「なぁ、由良。」
葉が言った。
「俺は由良が生まれてきてくれて良かったって思うよ。
会えて良かった。」
思わず涙が頬を伝った。
そんなこと、誰かに言われるなんて、思ったこと無かった。
言われるわけがないと思っていた。
なのに。
「由良?」
身体が離れて、
葉が心配そうに顔を覗き込んできた。
そして静かに泣いていた私にビックリして、
慌てて肩にかけていたタオルの裾を延ばして、
私の涙を拭ってくれた。
・・・なんで葉は、
死んでほしくない、とか、生まれてきて良かったとか、
嬉しい言葉をくれるんだろう。
葉の言葉はいつだって私を助けてくれる。
葉は、まるで暗闇の中に射した一筋の陽の光のように、
私の絶望的だった世界に希望をくれた。
嬉しくて、涙が次から次へと溢れ出す。
突然、
葉の顔が近づいてきたと思ったら、
私の唇にやわらかいものが触れた感触。
びっくりして、葉をじっとみる。
「涙、止まった。」
・・・え?
確かに・・・そう・・・みたいだけど。
「続きはあと。
あとでゆっくり話、しよう。」
葉はそう言って、にっこり笑って、私の頭を撫でて、
「もう俺、腹へって死にそう・・・。」なんて言って、
階段を降りた。
ねぇ、さっきの、キスだよね?
・・・なんか・・・いうこと・・・ないの?
唖然としたけど、
あまりに普通すぎる葉の態度に思わず笑みが零れた。
葉ってやっぱり変だ。
「由良、早く!」
階段下で葉が私を呼ぶ。
「うん。」
私は返事をして、葉の待つ階段下へと向かった。
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